遂に、生まれて初めて、外国へ来た。

 

１人きりだというのに、盗難も、怪我も、ハイジャックも、墜落事故も無く、

まともな状態のまま、大きな、綺麗な空港の中に立っている。

 

一先ず、世界地図や、地球儀の上でしか見た事がない、

あの、メープルの国、カナダに来れた。

 

巻き起こる感動の中、一歩一歩を踏みしめるように歩いていた先に、

突如、税関突破の任務が立ちはだかる。

 

既に、他の搭乗者達、もとい、あの、長い空の旅を終えた同士達の姿は、

既に、見当たらない。

 

きっと、全員、荷物を引き受けるロビーで、トランク、スノーボード、

スキー板、カメラ等を持ち運び始めているはずだ。

 

そして、感動に打ちひしがれ、酔いしれている間中、今も尚、

ずっと感じている鋭い視線に、恐る恐る、ゆっくり、慎重に目を向けると、

絵に描いたような、太めで大きめの、丸い黒人女性が、顔を斜めにさせながら、

サッサと来いやブタ野郎と言わんばかりの表情で、疑惑の眼差しを向けている。

 

即座に目を背け、その、初めて会うカナダ人らしき、生の黒人女性の元へ歩き出し、

出口調査の尋問を受け始めたものの、彼女が何を言っているのか、

全く、さっぱり分からない。

 

何度か、ため息をつかせた後、彼女に、『おい、パスポートを見せんだよ、

パスポートをよ、おら、おい、持ってんだろパスポートてめー』的な空気を出されて、

仕草をされて、ようやく気が付き、パスポートを提示する事が出来た。

 

そして、ほぼ新品のパスポートを、ピラピラと捲り回し、ハンコを押した後、

彼女は、最高の笑顔で、出口を開放する。

 

手間を掛けさせて、ごめんなさいの意味と、

ありがとうの意味を込めた、深めの会釈をして、遂に、黙秘で税関を突破した。

 

そして、来た事も、見た事もないが、紛れもなく、ここは本物のカナダだ。

 

少し歩いた先で、警備員らしき、渋めの痩せた初老白人男性から、

バックパックを受け取り、１時間ほど歩き回った辺りで、

この空港が、思っていたよりも小さい事に気が付いた。

 

空港が小さいと言うよりも、行動範囲が狭められているし、

お店屋さんらしき場所にも、シャッターが降りていたり、網が張られていたりする。

 

それに、カナダの国際空港だというのに、人が少なかった。

 

何か、妙な雰囲気を感じて、周りを見渡してみると、

人が少ないと言うよりも、誰もいない。

 

心細くった私は、先ほどの税関まで戻り、閉まり終えた真っ暗な税関を見た刹那、

やっと、トロント空港に、閉鎖時刻が迫っている事を悟った。

 

これは、この状況は、確実に困る。

 

一先ず、換金所が空いている間に、全所持金の１３万円をカナダドルに換金し、

今後の身の振り方を考える為、しばらくの間、中央ロビーのベンチに腰を下ろした。

 

このベンチは、固い上に短く、ベッドの代わりにもならないような、

とても不親切なベンチだけど、まともに座れそうな場所は、

この、不親切なベンチしか存在しない。

 

しかし、幸いな事に、不親切なベンチからは、時計台が見えていたから、

ここを拠点にして、探検をするついでに、

とりあえず、煙草を吸いたいし、喫煙所を探す事にした。

 

しかし、空港内の施設は、ほとんど閉鎖していて、お手洗い程度しか見当たらないし、

警備員らしき人もいない中で、バックパックを背負ったままだと、

歩き続けるのにも骨が折れる。

 

もう、誰もいないし、お手洗い場所で吸おうかと考えだした頃、

空港内を１周し終えそうな場所で、外へ出る為の大きな扉を発見した。

 

的中確実の嫌な予感通り、外は、オレンジのライトに照らされた雪と、

灰色の夜空だけの、普通に死ねる極寒の世界だ。

 

せめて、あと２～３時間ほど早い到着だったら、タクシーやら、バスやら、

もう少し、色々あったのだろうか。

 

無計画な旅ではないけど、夜中のトロント空港は、動きが制限されるらしい。

 

吸い馴じみのJPSに火を着けた後、カナダの夜空を覆う雲と同じ色をした煙を、

力いっぱい吐き出し、出発初日にして、己の無力さを思い知る。

そして、この旅が、初めての１人旅だった事に気付いた。